こんにちは!ひ~ちゃんママです。
今回紹介するのは、竜宮伝説もあるという富山県朝日町にある鹿嶋神社についてです。
竜宮伝説って、あの乙姫様がいるという竜宮伝説?
そうですね。
ちょっとびっくりしますよね。
鹿嶋神社という名前の神社は全国にはいくつもあります。
その中で、今回は竜宮伝説とも関係のある、富山県朝日町にあるヒスイが見つかることで有名なヒスイ海岸近くにある鹿嶋神社について紹介します。
竜宮伝説のある鹿嶋神社ってどこにあるの?
竜宮伝説と関わりのある現在の鹿嶋神社は、富山県朝日町宮崎にあります。
ヒスイ海岸で有名な宮崎海岸から徒歩で3分程度のところにあります。
ですから、神社は海のすぐそばにあるということです。
反面、鹿島神社は、神社の裏が国指定天然記念物「宮崎鹿島樹叢」という原始林になっています。
したがって、鹿島神社の前は海、後ろは山という非常に希有な立地条件に建っています。
竜宮伝説との関わり
もともとこの神社は、現在宮崎海岸から見える沖ノ島にあったという伝説があります。
古くはこの地は、現在海になっているところが陸地だったと言われています。
隣の町、入善町では沖合500m~700mの海底から一万年前の海底林が発見されています。
ですから、昔は沖合まで陸地だったと考えられています。
実際に、私が小さい頃は今よりもかなり海岸が広く、結構沖合まで陸地だったという記憶があります。
海岸が浸食されて、現在は本当に浜辺が少なくなっています。
そう思うと、昔現在の沖合である場所に神社があったことは不思議ではないと思います。
さて、この竜宮城を裏付ける伝説があるそうです。
鹿嶋神社のパンフレットの中からその記述を引用してみます。
さて、この竜宮城を裏付けられる伝説が、江戸時代の野崎伝助が伝承や説話をまとめた『喚起泉達録』に記載されていまうs。その中には、宮崎箇鼻山(海中)には見遠岸ノ神社があり、塩蔵を司る事勝国勝長狭(シチオツジノオジ)が御祭神としるされています。
この見遠岸ノ社から海中の真水の川を渡り、山を下ったところに海神の宮竜宮があったと記されています。かつてこの地域は、越中の国のただ一か所の塩蔵をしていたという点、また、明神林の地下を経た水が海中で湧水となっている事実もあり、現実味を帯びています。
浦島太郎の竜宮城の話では、乙姫様が出てきます。
この浦島太郎のお話とは異なりますが、海の中に神社があったという説が非常に有力なことが分かりますね。
乙姫様いなかったでしょうが、海の神を大切にしていたのではないでしょうか。
鹿嶋神社稚児舞
この宮崎地区では、毎年の春祭りには神輿巡りや獅子舞とともに、稚児舞といって、小さな子供達が街道を可愛い衣装に身を包んで舞いを奉納します。
以前は、数え年7歳の子供達が村の家々を回って、踊りました。
男の子と女の子の舞がそれぞれ異なり、男の子の舞を「槍踊り」女の子の舞を「扇踊り」と言います。
男の子達は手に槍、女の子は手に扇を持って踊ります。
この踊りの時期になると、地区の大人達が子供達に毎晩踊りを教えます。
この稚児舞は、踊りそのものも、無伴奏の若衆(若い男の人)の歌、衣装どれも、他にはない独自の芸能であり、町の指定無形民俗文化財として大切にされています。
鹿島樹叢
神社の裏の国指定天然記念物「宮崎鹿島樹叢」という原始林は、日本では大変珍しい原始林です。
何が珍しいのかというと、南の温かい地方に育つ植物と、北の寒い地方に育つ植物とが入り交じっていることと、昔から鎮守の森として大切に守られてきたため植生が自然のままで残っているということです。
また、この樹叢にはコロコロマイマイなどの陸生貝殻が多く発見されているそうです。
さらに、温暖帯の常緑樹が多くあるので、多くの小鳥が飛来して羽根を休める場所にもなっているそうです。
鹿嶋神社はパワースポット?
鹿島神社の歴史は神代の国からの伝説にもなっています。
そして、鹿島樹叢の素晴らしい原始林とのコラボから、この地を訪れると非常に素晴らしい環境に包まれていることは確かです。
ここを訪れることで、自然の偉大さや歴史の大きさを感じることが出来ます。
そういう意味では、パワースポットにもなるかもしれませんね。
まとめ
今回は、竜宮伝説もあるという富山県の鹿嶋神社についてまとめてみました。
大変古い神社ですので、由緒ある神社です。
裏の鹿嶋樹叢の原始林も、植物学的にも珍しく重要な林です。
この地を是非訪れてみてください。
伝説と、原始林の素晴らしさを十分に感じていただけると思います。