富山城へ行ってきた | 自由研究お勧めスポット戦国武将との関わりが凄い!

歴史散策

こんにちは!ひ~ちゃんママです。

今回は、富山城=富山市郷土博物館へ行ってきました。

丁度、ミニ企画展が開催されていました。

「描かれた 富山ゆかりの武将たち」

これが結構面白かったのです。

今回の展示物に登場したのは、

織田信長、羽柴秀吉、武田信玄 等そうそうたる武将です。

いったい富山県とどのような関係があったのでしょうか?

ちょっと調べてみました。

富山ゆかりの武将10選

木曽義仲

木曽義仲は、富山と非常にゆかりのある武将です。

富山県内には、木曽義仲、巴御前(義仲の妻)をモチーフにして、大河ドラマをという話が出ています。

本来でしたら、北陸新幹線が出来た年にという話題もあったのですが、難しかったようです。

北陸新幹線の東京から金沢までのルートが、義仲が京を目指したルートと同じような道筋であることも、北陸新幹線開通時にぜひ大河ドラマにという活動が高まっていたのですが・・・。

では、木曽義仲という人は何をした人かというと、源平の合戦の時代に活躍した人です。

一時は、天下を取れるのではないかと思われたのですが、結局平氏に敗れてしまいました。

何故、天下を取れるかもしれないというほどの勢いがあったのかということですが、その理由となった事が我が朝日町との縁があるのです。

平安時代の末期に、平清盛の平氏一門が権勢を振るう一方、諸国の武士の中に衛視への不満を募らせる者が多くなり、各地で源氏の武将が立ち上がったのです。

その中の一人が木曽義仲です。

木曽義仲のラッキーだったことは、天皇家の血筋を引いた、北陸の宮をゲットした事にありました。

義仲は北陸の宮を連れて、富山県朝日町宮崎に御所を築き、元服させる事と引き換えに、北陸の宮を「錦の旗印」として上京を果たしました

しかし、結局北陸の宮を天皇とする事は出来ず、平氏に敗れてしまったと言うことです。

武田信玄

武田信玄は言わずと知れた、甲斐の戦国武将です。

武田信玄と上杉謙信との川中島の戦いは有名ですよね。

武田信玄は、領土拡大のために上杉謙信に勝とうと、当時の富山城主であった神保長職と手を組みます。

しかし、長職は謙信の猛攻によって没落します。

そこで、信玄は越中の一向一揆勢と同盟を結んだと言われています。

つまり、一向一揆の黒幕に武田信玄がいたと言うことになりますね。

しかし、信玄も上洛の途中で病に倒れ病没してしまいます。

天下を取れなかった一人ですね。

上杉謙信

武田信玄の宿敵、上杉謙信は越後の戦国武将です。

武田信玄との川中島の合戦が有名ですが、実は越中へ何度も攻め入っています

そして、天正5年(1572年)には、能登や北加賀も領土としました。

富山城にもこもっていたときがあったようですよ。

織田信長

鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギスで有名な信長ですが、信長も天下統一のために、上杉謙信がなくなったときに北陸へ攻めてきました

信長本人は富山へはやってこなかったようですが、柴田勝家を総大将として、謙信の跡を継いだ上杉景勝を相手に、富山城や小出城、魚津城などで戦っています。

北陸の地を領土として得ることや、一向一揆勢を治めることが重要だったのでしょうね。

柴田勝家

信長の信任を得ていた武将です。

信長の妹お市の方を妻にしたことでも有名ですよね。

柴田勝家は、上杉景勝を相手に戦い上杉方から富山城を取り返します

信長が没した後は、羽柴秀吉と戦い敗れ自害します。

佐々成政

佐々成政は織田信長の家臣

北陸攻めでは、柴田勝家のもとで富山城を攻めることに参加しています。

のちに、信長から越中国主を命じられ富山城を本拠として上杉軍と戦います。

天正11年(1583)に越中を平定し、戦国越中を治めます

しかし、翌年羽柴秀吉と対立し秀吉軍に攻め込まれやむなく降参します。

上の資料はそのときの佐々成政と羽柴秀吉を描いたものだそうです。

右が羽柴秀吉で、左に髪がぼさぼさになっているのが佐々成政です。

佐々成政は、富山では有名な武将ですが、私も現在まで詳しいことは知りませんでした。

この博物館の企画展で目にとまり、富山との関わりが分かりました。

佐々成政は、最終的には秀吉の命で切腹したそうです。

戦後武将の駆け引きは、命がけですね。

石田三成

関ヶ原の戦いで有名な石田三成は、越中の出陣の時は秀吉に付いて越中まで来ていたと考えられているそうです。

でも、この頃はまだまだ若く、側近の一人に過ぎなかったそうですよ。

羽柴秀吉

天下人として知られる羽柴秀吉(豊臣秀吉)も、富山に攻めてきています

敵対する越中国主の佐々成政を屈服させるため、富山城めがけて大軍を進めてきました。

成政を降参させた秀吉は富山城へ入り数日間滞在したそうです。

この間、前田利家が呉羽山で催した茶会に招かれたと伝わっています。

秀吉が富山に攻め入ってきたことや、呉羽山で茶会をしたというのは、初めて知りました。

前田利家の茶会はたいそう豪勢だったでしょうね。

前田利家

前田利家は、お隣の加賀藩の祖です。

織田信長の家臣でした。

秀吉が越中出陣の時にも、富山城を攻め入るために安養坊坂(現富山市安養坊)に布陣していたそうです。

そして、佐々成政を降参させた跡、秀吉を招いて茶会を開いたと言われているそうです。

前田利長

前田利長は、前田利家の嫡男です。

関ヶ原の戦いで徳川方についたので、その功績が認められて、加賀・能登・越中の120万石を領地として与えられます。

弟の利常に家督を譲った後、富山城へ移り富山城を改修しました。

また、その後は高岡城へ移り、高岡で没したそうです。

高岡のマスコットは、利長君ですよね。

高岡の人にとっては、前田利長は加賀藩の文化と高岡の文化を大切にしたとてもゆかりのある人ですね。

自由研究のポイント

今回は、武将に焦点が当たっているので好きな武将と富山県の関係をまとめてみると良いと思います。

ポイントとしては、年代や時代毎に出来事を絞るのが良いでしょう。

○ 平安時代 源平の戦い

・木曽義仲

○ 室町から戦国時代

・足利義政 武田信玄 上杉謙信

○ 織田の進攻

・織田信長 上杉景勝 柴田勝家 佐々成政

○ 秀吉の襲来

・羽柴秀吉 山内一豊 石田三成 前田利家

まとめ

多くの有名な歴史的武将が富山県と関係があったというのは驚きです。

社会科の教科書に出てくる武将ばかりですが、実際に富山の地を訪れたり、富山の地を攻めたり等々・・。

その当時、越中と言われていたのでしょうか?

私が住んでいるこの地の事を話題にしていたなんて、親近感が湧きますね。

そう思うと、歴史が益々好きになります。

この企画展は、

期間 平成31年4月20日~令和元年7月7日

あと、しばらくですので、ぜひ行ってみてくださいね。

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